現代の「憑き物落とし」

前回に続いて、京極夏彦さんの小説のお話です。
「姑獲鳥(うぶめ)の夏」に始まる京極堂シリーズでは、
京極堂こと中禅寺秋彦が「憑き物落とし」をしていきます。


物語の中、人々は自分の理解が及ばないこと、不思議なことを
「妖怪」の仕業として畏れ、なるべく触れぬようにしています。
そして妖怪に見立てられた事件が起きます。
一旦事件が起きると、パンドラの匣が開けられたかのうように
人々の不安、恐れは増していきます。


実際には妖怪などいない。
京極堂は非常にロジカルに、起きている現象を解きほぐし、
人々が理解出来るように説明し、不安を取り除いていく。
これが「憑き物落とし」です。


むかしは妖怪を信じる人もいたかもしれないが、
科学が発達したいまの時代、妖怪を信じる人は非常に少ない。
関係のない話だ。と言ってしまうのは簡単です。


しかし、いつの時代にも妖怪はいます。
人々の「無知」、「常識」にとらわれた心、が妖怪を生み出すと言っても良い。

たとえば、、、
リーマンショックの原因となった金融の仕組み。
事件の前、いったい何人の人が全体を把握出来ていたのでしょう?


原発にしても、事件が起きる前、原子力発電にどのような利点/リスクがあるかを
把握していた人がいったいどれだけいたのでしょうか。
そもそも(私を含め)原子力発電のメカニズムを理解していなかった人も多いかと思います。


「仕組み」がうまく回っているうちは、特に問題ありません。
安全「神話」というフタをしてしまう。近づかないようにする。


しかし一旦ほころびが生じると大変、恐ろしい「妖怪」が顔を出します。
次から次へと知らなかった(知ろうとしなかった)事実が出てきて、
人々の不安感は増していきます。


今の時代でも「憑き物落とし」は必要です。
科学的に、論理的に、複雑な現象を取り除いて不安を解消してくれる存在が求められています。
http://www.youtube.com/watch?v=8GqwgVy9iN0


金融工学原発ほど複雑でインパクトが大きくなくても、
妖怪となりうる問題は、いたるところにあります。
社会の中、企業の中、家族の中・・・


いつの世になっても、憑き物落としは必要なのです。