アート化する世界

マーケティング副読本の「ブランドは広告でつくれない 広告 vs PR」という本を読み始めた。

ブランドは広告でつくれない 広告vsPR

ブランドは広告でつくれない 広告vsPR

広告は企業の売上やブランド構築に貢献しなくなってきている。
ブランド構築には「信頼感」が大事だが、広告には信頼感は全くない。
これからはPR(パブリック・リレーションズ)が重要だ。
という趣旨のよう。


まぁそういうものなのかな、と思っていたが本の中で興味深い表現を見つけた。
「コミュニケーションの手法がその機能的な目的を失うと、アート、つまり芸術になってしまう」
例として、
・詩・・・ホメロス(紀元前850年頃)時代には、散文形式より韻文の方が耳で聞いて覚えやすいという実用的な理由で普及していた。現在でも詩は普及しているが、情報伝達のために詩を使う人はほとんどいない。詩はアートになっている。
・絵画・・・写真発明以前は、写実的な絵を描くことで国王や王女の肖像を国中に伝達していた。今日でも絵画の人気はあるが、情報伝達として絵画が利用される機会は減り、どんどん抽象的になっている。

また、コミュニケーション手法以外にも、
・軍事・・・バッキンガム宮殿の衛兵の交代は20分もかかる入念な儀式だが、衛兵は何も護衛していない。衛兵の交代はもはやアートである。
・馬事・・・自動車発明以前は、馬は移動のための重要な手段であった。現在では、競馬や馬術ショー、スポーツとしての乗馬(競馬がアートか??という気はするが。。。)などに利用されている。
などなど。


そして広告も機能性を失いアートになってしまっていると。


この「機能的な役割を失う(あるいは必要とされる機能を十分に満たすようになる)とアートになる」
というのは真理をついているかもしれない、と思った。
・衣・・・ファッションショーに代表されるように、アートになっている。
・食・・・ミシュランの星の格付けなど。味はもちろん見た目にも凝りまくり。アートの世界だろう。
・住・・・建築の世界でも機能的であることに加え、「クリエイティブ」なことが称賛される。ガウディの建築などもアートの一種だろう。


さらに飛躍すると
・お金・・・投資の世界はアートと言えるかもしれない。
・企業経営・・・「経営はサイエンスでありアートである。」
・個人の働き方・・・「プロフェッショナル」に代表されるように、個人の働き方が一種のブランドになったりする。
とかね。